| 柔らかな心でいこう 17.最後に残るもの |
| ライター 岡田 夏憂 |
| 心も体も張り詰めた寒い冬が終わり、柔らかな春の訪れを感じると、人は思いもよらない行動をとってしまうことがあります。人間も動物なんだとつくづく考えさせられます。 早朝、あるおばあちゃんは身支度をして、仕事に行かなければとあわてて出かけようとします。「どこへ、どんな仕事をしに行くの」と問い掛けると、時間がないのよと早口で仕事の内容を話し、職員の手を振りほどいてまでエレベーターに乗ろうとします。 また、あるおばあちゃんは、明け方、職員や警備の人も気付かないうちに、施設から駅に向かって延々と歩いていかれました。発見された時は、仕事に遅れるからと、不自由な足をひきずってまで必死に進もうとされていたそうです。 また、晴天の朝、散歩に出して欲しいと玄関のソファーに座り込んで、一歩も動こうとしないおばあちゃんがいらっしゃいました。まだ朝早いから、部屋に戻ろうと話し掛けると、ばかにしないでと急に大きな声で泣き出すのです。 自分には、どこに出しても恥ずかしくない子供たちもいるし、お金だってどっさりある。この私がなぜ、こんな生活をしているのか解らないとおっしゃいます。体も弱り、呆(ぼ)けが進んでいることを皆が笑っているんだと。 これらの場面に立ち会っていると、人が生きていくうえでは、誇りを持つことはとても大切なことかもしれないけれど、最後に人を苦しめるのは、このプライドというものなのだと実感します。知らず知らずのうちに進んでいく肉体の老化や痴呆。自分の力ではどうすることも出来ない自然の現象を受け入れられないのです。 「この私がなぜ」という思いが強すぎて、余計に自分を苦しめてしまっているのだと感じました。だから、学校の先生や社会的に責任のある職業についていた方が、軽い痴呆から精神を病んでしまわれることが多いのかもしれません。 ある大学の教授だった方が、どこかの特別養護老人ホームに入所されました。毎夜、きっちりスーツを着て、本やノートを持ち、授業に行こうとされたそうです。困り果てた職員はある日「先生、こんな夜になんの授業があるのですか」と問い掛けました。すると、「この私が、そんな間違いをする訳がないじゃないか」と怒り、その日からこのような行動は、ぱたりとなくなったそうです。 誇り高く生きることは、とてもかっこいいことではあるけれど、あまりにもそれが強すぎるとアダになるのです。柔らかな心を持ち、柔軟に生きるということの大切さをあらためて感じます。おだやかに自然体で年を重ねていくことは、とてもある意味難しいことなのかもしれません。 季節の変わり目、特に冬から春にかけてというのは体調も崩しやすく、心もなんだかソワソワします。だからといって、太陽が昇ると共に、仕事に行くための身支度をして出掛けてしまうとは、なんて働き者なのでしょう。どちらのおばあちゃんも、九十歳にあと少しで届こうかとする方で、六十歳を過ぎても働いてこられたのです。 きっと、二人をこのような行動にかりたてたのは、ずっと第一線で活躍してきたんだというプライドだったのかもしれません。朝一番の暖かな日差しに包まれた時、心の中で大切にしていたものがムクムクと目を覚ましたのでしょう。 もっと気楽に生きましょう。毎日アハハと笑って過ごせることが幸せなんだからと、おばあちゃんに話すことが、近ごろ日課になりつつあります。「誇り高き施設生活」なんて似合いませんから。うちのおばあちゃんたちには。 |