| 大切にしたい母性愛 16.人形を可愛がるひと |
| ライター 岡田 夏憂 |
| 私が勤務する施設で生活されているほとんどのおばあちゃんには、みよりがありません。一度も結婚をしたことがない人、子供に恵まれなかった人、何かの事情で家族と離ればなれになった人など理由はさまざまです。だからでしょうか、彼女たちは子供が大好きです。 年に数回、近くの保育園から園児たちが施設へ遊びに来てくれます。歌をうたったり、ゲームをしたり、おばあちゃんの肩をたたいたり、にぎやかな笑い声がひびきわたります。そんな時、おばあちゃんたちは、園児達の小さな体をぎゅうっと抱きしめます。背中や髪を優しくなでます。 この姿を見ていると、おばあちゃんには母性愛みたいなものが強く残されていて、子供たちに囲まれたとたん、それが思いきり放たれるのだと実感します。心から愛しいと思うものを強く求めようとする行為は、まさに母が子供の髪をなで、体をしっかりつつみこむ姿さながらです。 このシーンを見た時に、なぜ、おばあちゃんたちの部屋には、ぬいぐるみや、お人形が置かれているのか理解できたように思います。冬の寒い日、ぬいぐるみをベッドに寝かせ、すっぽりフトンをかぶせているのに、自分は添い寝するかたちで眠っていて、カゼをひいた方がいらっしゃいました。 また、夜中の見回りの時、なにやら話し声が聞こえるので、だれと話しているのだろうかと部屋をのぞいてみると、ずっとぬいぐるみ相手に話をしているという方もいらっしゃいました。何て奇妙なことをするのだろうかと職員のあいだで対策を考えなければいけないのではという声があがったりしました。 けれど、痴呆が出ても、こういった本能が大切に残されているというのはすばらしいことです。軽い痴呆があらわれると、少しずつさまざまな記憶が薄れてゆきます。私たち職員は、彼女たちの意識の中にしっかりと残されているこの母性というものを大切にしていかなければならないと確信しました。 人形と添い寝していたおばあちゃんから、カゼをひいてしまうからという理由でそのぬいぐるみを取り上げたり、夜中、話し声が気味悪いという理由で人形を高い場所に置き換えたりするやり方はまちがいだったと職員は反省することひとしきりでした。 彼女たちのこの人形をかわいがるという性質は、エスカレートしていくと、自分のぶんのごはんを食べさせてみたり、一日中、その人形をはなさなくなり、まさに自分の子供をあやすようなことまでするようになります。確かにこの姿は、客観的に見て、目をそらしたくなるもののように思えたりします。けれどそれは、その人の本能や生きてきた歴史などが複雑に組み合わされた自然なのだと見ることができます。 一方、おじいちゃんたちは、あきれるほどエッチで、週刊誌のグラビアの女の子を切りぬいて引き出しの中にそっと隠し持っていたり、エレベーターの中で若い女性職員のおしりを触るなどの行動で本能を満たしている様子です。「大阪の地下鉄でこんなことしたら、現行犯で逮捕されるで」などと毎日誰かが大きな声をあげられています。 施設という生活空間で仕事をし、そこで生活するお年寄りをみつめていると、女として老いること、男として老いることのせつなさ、「さが」というものを強く感じます。 自分は女としてどんな老い方をしていくのだろうか。おばあちゃんたちの生き様をかいま見て、そっと考えてみたりしました。 |